札幌市中央区の歯科デンタルオフィスユー 院長・スタッフ紹介です

デンタルオフィスユーナカヤ スマイル インスティテュート

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院長・スタッフ紹介

院長紹介

院長 中谷 宇一郎

院長写真

昭和43年生まれ 48歳
血液型:O型
動物占い:コアラ
趣味:マラソン(2015年の北海道マラソンにて42.195kmを制限時間ギリギリの5時間で完走)
キャンプ(時々妻と4歳と2歳の子供と犬3匹を車に乗せて札幌近郊のキャンプ場に出没)
好物:ワイン(特にシャンパン)

歯やお口の健康に関することなら何でもお気軽にご相談ください。
どうぞよろしくお願いいたします。

略 歴

平成4年 北海道医療大学 歯学部卒
平成4年 札幌医科大学医学部口腔外科学講座入局
口腔外科全般にわたる臨床、研究に従事
平成8年~ 口腔がんの遺伝子治療に関する基礎的研究に
従事し平成12年医学博士号取得
平成13年 特定医療法人三愛病院 歯科口腔外科医長
市内診療所勤務
平成15年 11月「DENTAL OFFICE U」開院

所 属

 

中谷 宇一郎とは? はじめて語る過去から現在

幼少期

私は1968年1月10日、札幌で生まれました。
私は、3人兄弟の真ん中でそれぞれ4つづつ離れた姉と妹がいます。
集中力がなく、落ち着きのない子供だったため、 何か長所を伸ばすために親はいろいろ習い事をさせてくれたが(ピアノ、習字、そろばん等)どれも長続きせず。
私の父はいわゆる仕事人間で、夜帰宅する時間も遅く、 遊んでもらったことがほとんどありませんでした。
日曜日は趣味の庭いじりが始まると手伝いをさせられ、面白くないし、つまらなかったのを記憶しています。休みは昼から酒を飲み、家でテレビを見てゴロゴロしていました。こどもの好きな番組はほとんど見せてもらえず、NHKばかり見て育ちました。
食事もお肉やオムライス、ハンバーグといった子供の好きなものは父親が嫌いだったため、毎日魚ばかり食べて育ちました。
母や祖母から「お父さんは仕事で疲れている」とよく聞かされ、私自身は納得していましたが、友だちから「家族で○○へ行って来た」という話しを聞くと、他の家がうらやましく思っていました。

思春期

高校受験に失敗し、すべりどめに受けた私立には行きたくなかった。どうしようかと途方に暮れていた。高校の教員をやっている叔父は、美唄だけど、うちの高校に来てがんばってみたら?と言ってくださりお世話になる事に。
半年程叔父の家から高校に通学させてもらったが、やはり、札幌の自宅から通学したいという気持ちが強くなり、毎日札幌~美唄まで汽車通学することに。
6時の汽車に乗るには5時に起きなければならず、早起きの苦手な私にとっては、想像以上に辛い毎日だった。
そんなとき仕事しかせず、幼少期からほめてもらうことも、遊んでくれることもなかった父でしたが、毎朝大きなおにぎりを2個つくって持たせてくれた。それを片道2時間程の汽車の中で食べながら約2年間通学しました。ほんとうに感謝しかありません。

歯医者を目指そうとした理由

中学生の頃、何か資格をとったほうが将来職には困らないだろうと漠然と考えていましたが、具体的には何をやりたいかは決められずにいました。
歯医者という職業に単純な憧れがあったんだと思います。高校の頃、通っていた歯医者の先生がなぜか私に目をかけてくれて、いろいろ話しを聞いてくれて飯とか誘ってくれて、なんかかっこよかった。
「僕も先生のようになりたい」と思うようになり、それからは方向性はまったくぶれることはありませんでした。父の会社の後継も考えていましたが、手先が器用だったため歯医者になることについては親も快諾してくれました。

大学時代

6年間の学生生活のうち、最初の2年間は一般教養を学びますが、歯医者になるのに関係ない科目を勉強するのは苦痛でした。(今はそんなことないと思いますが)遊びやアルバイトに明け暮れ、出席日数が足りず留年しかけるもなんとか進級。
専門的な勉強が始まってからは成績順調で毎日が楽しかった。特に保存(歯を残すこと)や補綴(ブリッジや入れ歯)の実習は簡単で物足りず、いつもすぐ終わってしまい、暇なので他の人の手伝いとかしていました。
卒業試験は国家試験と同じ形式で行われ、全部で3回あってすべての平均が6割いってれば卒業できた。今は行われているかはわかりませんが、試験会場は体育館で行われカンニング防止のため隣の人の答案が絶対見えないくらい席を離され受験した。
席順の一番前は成績の悪い人で一番後ろは成績優秀者の順に並べられた。前に並ばされるのは恥ずかしいので少しでも後ろに座れるよう必死に勉強した。そのおかげ?でいつも後ろのほうにいることが出来た。

札幌医科大学口腔外科在籍時代

国家試験に受かっただけではペーパードライバーと同じですぐに患者さんの治療をするには知識も技術も不十分なので、ほとんどの人は大学病院や勤務医などを経験して修行します。
私は口腔外科に興味があったので、自分の出身大学ではない医学部の口腔外科でお世話になりました。
ここは他大学卒業の歯科医師が集まって構成されており、国立大学出身の先生も多く、いろんな刺激を受けました。
ここはとにかく患者さんが多く、 外来はまさに戦場のようで、いろんな症例をこれでもかというくらい経験することが出来ました。いろんな経験を積めば積む程自分が勉強不足で、甘いということを思い知らされた。
医局では特に新人時代は使い走り的な雑用も多く、仕事の忙しさ、厳しさは半端ではありませんでした。早朝に病棟患者さんの採血、点滴をすることから始まり、日中は診療、午後から深夜までかかる手術に入り、手術が終わってからはそのまま当直というような全く家に帰れないということもありました。輸血、抗がん剤の投与、心肺停止状態の患者さんへの対応等、どんな状態の患者さんでも対応出来るようになりました。

博士論文提出のための研究生活

口腔外科での生活を約4年(あっという間でしたが)経過した頃、教授から学位の仕事もやっていいと許可をいただき研究中心の生活が始まった。
研究は基礎の講座と共同でやることが多いのですが、私は分子生物学教室というところで約4年間お世話になった。簡単にいえば細胞、蛋白質、DNAレベルでのがんの研究で、とにかく最初は何がなんだかわからなかった。分子生物の担当教官の先生は、最初は細かいことはあまり考えず、まず手を動かしてどんどん実験して下さい。そうすれば、知識や結果は後からついてきますよ。と言われ朝から晩まで実験に明け暮れた。
2年ほど研究をやり、実験結果も出て、ある程度論文を書けるような段階になったら論文提出者のための語学試験なるものがあり、これにパスしなければ論文を提出することができない。
試験の内容はA3の紙2枚にびっちり書かれた英語論文の和訳で1枚は医学とは関係ない一般的なもの、もう1枚は医学に関する論文だった。辞書持ち込み可だったが、あまりに英文が多すぎて、辞書をひいている時間はなかった。
教官からはこんな試験は普通に論文を読んでいたら楽勝だ。落ちたら恥だからな!!とプレッシャーをかけられるも、結果は不合格。
みんな僕のことをバカだと思ってるに違いないと思うと恥ずかしくて引きこもりたくなった。でもそんなことを考える暇もなく、教授や研究している仲間がすぐ残念会を開いて下さり、みんなに激励され、浴びるほど酒を飲まされ本当に助けられた。
その後実験と平行して苦手な論文を毎日コツコツ読み続け半年後の試験では無事に合格することが出来た。
研究生活最後の1年は自分の論文の仕上げに費やした。教授にはディスカッション、書いた文章の添削を何度も何度もやっていただいた。あまりにも自分の力のなさに嫌気がさし何度も挫折しそうになったが、何とか僕の学位論文が教授会を通過した。自分と関わっていただいた教授をはじめ皆様方に本当に感謝しかない。

開業に向けて

学位の仕事が終わってから約2年道内各地の関連病院の長期出張や後輩の教育などにあたっていたが、このとき34~35歳。
このまま大学に残って口腔外科をやり続けるか?独立して開業するか岐路に立たされる。大学を離れるのは少しさびしいが、開業するのなら出来るだけ早い方がよいと思い平成15年11月「DENTALOFFICE U」を開業した。

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